褒められると、うれしい。認められると、ほっとする。でも、そればかりを求めている自分に、時々うんざりする。
「私、承認欲求が強すぎるのかな」「もっと自分軸で生きられたらいいのに」。そんなふうに、自分を責めていませんか。
私にも、その感覚があります。この記事では、承認欲求との付き合い方について、正直に書いてみます。
まず承認欲求は、悪いものではありません
いちばん最初に、これを伝えたいです。
「認められたい」という気持ちは、誰にでもあります。 それは、人間が集団の中で生きてきた生き物だからだと言われています。誰にも認められずに生きていける人のほうが、めずらしい。
そして、承認欲求があるから、人は頑張れます。 誰かに喜んでもらいたいから、丁寧に仕事をする。認められたいから、努力する。それは、悪いことでも、幼稚なことでもありません。
だから、まず「承認欲求が強い自分」を責めるのは、やめてみてください。
しんどくなるのは、それが「唯一の基準」になった時
じゃあ、なぜしんどくなるのか。
問題は、承認欲求があること自体ではなく、他人の評価が、自分の価値を測る”唯一の物差し”になってしまった時です。
- 褒められた日は、自分に価値があると感じる
- 何も言われない日は、自分がダメな気がする
- 誰かの一言で、その日一日の気分が決まる
こうなると、自分の心が、他人の反応に完全に預けられている状態です。他人は気まぐれだから、当然、毎日振り回されます。
しんどいのは、承認を求めているからではなく、それしか物差しがないからなんです。
認められても、渇きが埋まらない理由
もうひとつ、不思議なことがあります。
認められた時の安心は、長続きしないんです。褒められた瞬間はうれしいのに、次の日にはもう不安になっている。だから、また次の承認を探しにいく。
これは、あなたが欲張りだからではありません。外から入れたものは、外に流れ出ていくからです。
コップに穴が開いていると、いくら注いでも溜まりません。必要なのは、もっと多くの承認ではなく、コップの底を少しずつふさぐことです。
自分の中に、小さな物差しを持つ
じゃあ、どうすればいいのか。他人の物差しを捨てる必要は、ありません。 ただ、自分の物差しを、一本だけ足すんです。
たとえば、こんなことです。
- 今日、自分なりに丁寧にやれたこと
- 誰にも気づかれていないけど、続けていること
- 前より少しできるようになったこと
誰にも褒められなくても、自分だけが知っている「よくやった」があるはずです。それを、一日にひとつでいいから見つけてあげる。
地味ですが、これがコップの底をふさぐ作業です。自信は「育てるもの」だという話も、別の記事に書きました。
SNSは、承認の量を見えすぎるようにした
現代でこれがしんどくなったのは、承認が数字で見えるようになったからでもあります。
いいねの数。反応の速さ。フォロワー。本来は目に見えなかったものが、全部数値になった。 そして数字は、必ず誰かと比べられます。
もし、SNSを見たあとに毎回しんどくなっているなら、それは承認欲求のせいではなく、環境のせいかもしれません。SNSとの距離については、こちらの記事にも書きました。
「認められたい」を、諦めなくていい
そして、これがいちばん伝えたいことです。
「承認欲求をなくそう」としなくていいんです。
なくそうとすると、認められたいと思う自分を、そのたびに責めることになります。それは、しんどさが増えるだけ。
そうではなく、比重を、少しだけ変える。 他人の評価10割だったものを、9割にする。自分の物差しを1割だけ入れる。それくらいで十分です。
人の目が気になってしまう時の考え方も、別の記事にまとめました。自分を認められない時のことは、こちらに書いています。
それでも、苦しい時は
「認められないと、自分には価値がない」その感覚が強くて、日常がつらい。そう感じることもあると思います。
その気持ちの根っこは、たいてい今日できたものではありません。長い時間かけて積み重なったものなので、一人で解くのは、正直むずかしい。
そんな時は、利害関係のない第三者に話してみるのもひとつです。評価も競争もない場所で話すと、「私はこんなに認められようと頑張っていたんだ」と気づけることがあります。 オンラインカウンセリングについて正直にまとめた記事も、よければどうぞ。
最後に
認められたいと思うのは、あなたが弱いからではありません。人として、ごく自然なことです。
ただ、他人の物差しだけで生きていると、疲れます。自分の物差しを、一本だけ持っておく。 それだけで、揺れる幅がずいぶん小さくなります。
人にも、自分にも、ちょうどいい距離で。他人の評価とも、ちょうどいい距離で。

